温泉旅館の株式は自由に売れる?「譲渡制限株式」を確認せずにM&Aを進めてはいけない理由

「長年旅館を支えてくれた番頭に、会社を譲りたい」。温泉旅館の事業承継では、ハンズバリュー株式会社の島田が、こうしたご相談を受けることがあります。

親族に後継者はいない。外部の買い手へ売るより、従業員や支配人に引き継いでもらう方が、従業員もお客様も安心できる。経営者の心情としては、とても自然で、美しい承継の形です。

しかし、ここでよく出てくる危険な思い込みがあります。

「自分の株だから、当人同士が合意して契約書にハンコを押せば、自由に売れるはずだ」

中小企業、とくに非上場の温泉旅館では、多くの場合、会社の株式に譲渡制限が付いています。つまり、株主個人が「この人に売りたい」と思っても、それだけでは会社に対して新しい株主として扱ってもらえないことがあります。

さらに、番頭や従業員への承継では、株価を安くしすぎることによる税務リスク、資金調達の問題、他の役員・親族の反発も重なります。気持ちだけで進めると、せっかくの承継が途中で止まってしまうのです。

この記事の結論

温泉旅館の株式は、社長が100%持っていても、自由に売れるとは限りません。譲渡制限株式かどうか、承認機関が取締役会か株主総会か、株価が税務上適正か、後継者が資金調達できるかを確認してから、株式譲渡契約を進める必要があります。

この記事でわかること

  • 非上場会社の「譲渡制限株式」とは何か
  • 温泉旅館の株式譲渡で、会社の承認が必要になる理由
  • 番頭・支配人への承継(EBO)で起きやすい法務・税務・資金調達の問題
  • 株式譲渡契約書に押印する前に確認すべき資料
  • 従業員承継を安全に進めるための実務チェックリスト

匿名化ストーリー: 恩返しのハンコと、止めた株式譲渡契約書

以下は、島田が実務で向き合ってきた相談をもとに、守秘義務に配慮し、複数の実務論点を組み合わせて匿名化したストーリーです。

舞台は、東北地方にある老舗温泉旅館。現社長は75歳。親族に後継者はおらず、健康面の不安も出てきました。

そこで社長は、20代のころから旅館を支えてくれた番頭に会社を託すことを決意します。番頭は現場をよく知り、常連のお客様にも顔が利き、女将、仲居、料理長、フロントスタッフからの信頼も厚い人物でした。

「彼に旅館を継いでもらうことにしました。私の株を全部譲る契約書に、さっき二人で実印を押したところです。これで明日から彼がオーナー社長ですよね」

社長の表情は晴れやかでした。番頭も緊張しながら、「旅館を守ります」と頭を下げています。感情としては、これ以上ない承継です。

しかし、島田がまず確認したいのは、登記事項証明書と定款です。

困ったポイント 1: 会社の承認を取っていない

登記事項証明書には「株式の譲渡制限に関する規定」が記載されていました。定款を確認すると、株式を譲渡するには取締役会の承認が必要とされています。ところが、社長と番頭は、取締役会を開かずに株式譲渡契約書へ押印していました。

会社法では、株主は原則として株式を譲渡できます。ただし、譲渡制限株式の場合は、会社に対して譲渡承認を請求し、会社の承認を受ける手続きが必要になります。

ここで大切なのは、株式譲渡契約書が当事者間で作られていても、それだけで会社が番頭を株主として扱えるとは限らないという点です。会社の承認や株主名簿の書換えが整わなければ、番頭は株主として議決権を行使できず、新社長を選任する株主総会や金融機関への説明で止まります。

島田「社長、非常に言いにくいのですが、この契約書だけでは足りません。会社として譲渡を承認する決議と議事録が必要です」

社長は驚きます。「自分が100%株主なのだから、自分のハンコがあれば十分ではないのか」と。

しかし、会社は社長個人とは別の法人です。社長の意思と、会社としての正式な意思決定は分けて考える必要があります。

恩返し価格が、税務と役員感情を刺激する

さらに、島田が株式譲渡契約書を確認すると、別の問題が見えてきました。

社長は、番頭への感謝から、株式を非常に安い価格で譲ろうとしていました。番頭に大きな現金がないことも分かっていたからです。

困ったポイント 2: 「恩返し価格」が税務リスクになる

帳簿上の純資産、土地建物、内部留保、直近の収益力を踏まえると、本来の株価は契約書の金額よりかなり高い可能性がありました。著しく低い価格で株式を移すと、買い手側に贈与税・給与課税・経済的利益の問題が生じることがあります。誰が売るのか、誰が買うのか、売り手が個人か法人かによって税務の結論は変わるため、税理士による確認が不可欠です。

この話を聞いた他の役員や親族が反発することもあります。

「長年働いてくれたのは分かる。でも、価値のある株を親族でもない従業員へただ同然で渡すのは納得できない。取締役として承認してよいのか」

従業員承継は、感情的には温かい一方で、法律と税務では「親族ではない第三者への承継」として見られます。身内だから何とかなる、という世界ではありません。

番頭に買う意思はある。でも買うお金がない

もう一つの現実は、資金調達です。

温泉旅館の株式価値は、帳簿上の土地建物、積み上がった内部留保、過去の利益、将来収益、借入金の状況によって大きく変わります。適正価格で譲渡しようとすると、番頭個人が数千万円から億単位の資金を用意しなければならないこともあります。

交通整理の方向性

  • 税理士・公認会計士と連携して、株価の目安を算定する
  • 取締役会または株主総会で譲渡承認を行い、議事録を残す
  • 番頭個人で買うのか、受け皿会社を作るのかを検討する
  • 金融機関へEBO資金、事業承継資金、M&A資金として相談する
  • 一括譲渡が難しければ、段階譲渡や議決権設計も含めて検討する

結果として、島田は、いったん契約書のまま進めることを止めました。株価を見直し、税務リスクを確認し、金融機関と資金調達を相談し、会社としての譲渡承認手続きを整えます。

美談を壊したのではありません。美談のまま終わらせず、旅館を次の世代へ安全に渡すために、法律・税務・資金のレールを敷き直したのです。

譲渡制限株式とは何か

会社法上、株主は原則として、自分が持っている株式を譲渡できます。これは会社法127条の基本です。

ただし、非上場会社では、定款で「株式を譲渡により取得するには会社の承認を要する」と定めていることが多くあります。このような株式を、一般に譲渡制限株式と呼びます。

原則

株主は株式を譲渡できる

非上場会社の実務

定款で会社の承認を必要とすることが多い

M&Aでの意味

契約書だけでなく、承認決議・議事録・株主名簿書換えが必要

なぜこのような制限を設けるのでしょうか。

理由は、会社にとって望ましくない人が、勝手に株式を取得して経営に入ってくることを防ぐためです。競合企業、反社会的勢力、経営方針に合わない第三者などが株主になると、会社運営に大きな影響が出ます。

温泉旅館は、地域との関係、従業員との信頼、温泉利用、金融機関との取引、お客様からの評判が経営の土台です。だからこそ、誰が株主になるのかは重要です。

参考: 会社法(Japanese Law Translation)

譲渡制限株式を売るときの承認機関

譲渡制限株式を他人に譲渡しようとするとき、株主は会社に対して、譲受人が株式を取得することを承認するかどうかの決定を請求できます。会社法136条の手続きです。

そして、会社が承認するかどうかを決める機関は、会社法139条で整理されています。

会社のタイプ 原則的な承認機関 実務で見る書類
取締役会設置会社 取締役会 取締役会議事録、譲渡承認通知、株主名簿書換請求書など
取締役会を置いていない会社 株主総会 株主総会議事録、譲渡承認通知、株主名簿書換請求書など
定款に別段の定めがある会社 定款で定めた機関 定款、承認機関の議事録、会社の承認通知

ここで大切なのは、登記事項証明書だけで判断しないことです。登記には譲渡制限の規定が載っていますが、承認機関や細かい手続きは定款で確認する必要があります。

また、古い会社では株券発行会社のままになっていることがあります。この場合、株券の発行・不発行、株券の所在、名義書換の手続きも確認が必要です。

承認を飛ばすと何が起きるのか

「契約書に押印したから大丈夫」と思って譲渡承認を飛ばすと、次のような問題が起きます。

止まる場面 具体的なリスク
株主名簿の書換え 会社が買い手を株主として記録できず、買い手が会社に対して株主権を主張しにくくなる。
代表者変更 買い手が議決権を行使できず、新取締役・新代表取締役の選任が争われる。
金融機関対応 銀行が株式承継の有効性や新代表者の権限を確認できず、融資・保証・届出印変更が止まる。
親族・役員との紛争 後から「あの譲渡は承認されていない」と争われ、承継全体が不安定になる。
M&Aの決済 買い手のデューデリジェンスで不備を指摘され、クロージング条件を満たせない。

法律論としては、譲渡制限株式の譲渡契約が当事者間で常に無意味になる、という単純な話ではありません。しかし、会社の承認と株主名簿の整理がなければ、会社運営上は「新しい株主として扱えない」という深刻な状態になります。

事業承継では、そこが致命傷になります。番頭が「自分がオーナーになった」と思っていても、議決権を行使できず、代表者変更も銀行対応も進まなければ、旅館の経営は宙に浮きます。

番頭・従業員への承継(EBO)で特に怖い3つの落とし穴

Employee Buyout、いわゆるEBOは、従業員が会社や事業を引き継ぐ承継方法です。温泉旅館では、番頭、支配人、女将、料理長など、現場を長く支えてきた人が候補になることがあります。

ただし、親族内承継よりも慎重に設計すべき点があります。

1. 「特別に安く売る」が税務リスクになる

長年の功労者に安く譲りたい、という気持ちは自然です。しかし、時価とかけ離れた金額で株式を移すと、差額部分が贈与や経済的利益と見られる可能性があります。

たとえば、法人が役員等に対して資産を時価より低額で譲渡した場合、国税庁は時価と譲渡価額との差額を経済的利益の例として示しています。個人株主から従業員へ譲る場合も、贈与税・所得税・譲渡所得など、取引形態に応じた税務確認が必要です。

参考: 国税庁「役員等に対する経済的利益」国税庁「株式等を譲渡したときの課税」

2. 買い手である従業員に資金がない

従業員承継では、後継者本人に株式買取資金がないことが多いです。旅館の株価が高い場合、本人の預金だけでは買えません。

そのため、金融機関と早い段階で相談し、EBO向けの資金調達、事業承継資金、受け皿会社を使った買収資金、段階譲渡、売主からの分割払いなど、複数の選択肢を検討する必要があります。

3. 他の役員・親族が納得しない

社長が100%株主であっても、取締役会設置会社であれば、譲渡承認に取締役会の決議が必要になることがあります。他の役員が「安すぎる」「会社に不利益ではないか」「金融機関が納得するのか」と反対すれば、承認は簡単ではありません。

また、社長の親族が「なぜ親族ではなく従業員に渡すのか」と感情的に反発することもあります。従業員承継は、法務だけでなく、説明の順番が非常に大切です。

契約書に押印する前に確認すべき資料

温泉旅館の株式譲渡では、次の資料を早い段階で確認します。

初期確認チェックリスト

  • 登記事項証明書の「株式の譲渡制限に関する規定」
  • 現行定款、定款変更履歴
  • 譲渡承認機関が取締役会か、株主総会か、代表取締役か
  • 株主名簿、発行済株式数、株主ごとの持株数
  • 株券発行会社かどうか、株券を実際に発行しているか
  • 過去の株式譲渡・贈与・相続の議事録や契約書
  • 法人税申告書の別表二(同族会社等の判定に関する明細書)
  • 直近決算書、固定資産台帳、借入金一覧、担保・保証の状況
  • 税務上の株価算定資料、M&A価格の考え方
  • 後継者の資金調達計画、金融機関への説明資料

これらを確認せずに株式譲渡契約書を作ると、あとから「承認機関が違う」「株主名簿が古い」「株価が説明できない」「番頭が資金を用意できない」という問題が出ます。

安全に進めるための実務手順

番頭や従業員への承継を検討する場合、いきなり株式譲渡契約書を作るのではなく、次の順番で進めます。

順番 実務でやること
1 株主名簿・定款・登記事項証明書を確認し、譲渡制限と承認機関を特定する。
2 税理士・公認会計士と連携して、税務上の株価とM&A価格の考え方を整理する。
3 番頭・従業員本人の資金力を確認し、金融機関へ事業承継資金の相談を行う。
4 他の役員・親族・金融機関へ説明し、承継の納得形成を進める。
5 譲渡承認請求、取締役会または株主総会の承認決議、議事録作成を行う。
6 株式譲渡契約、代金決済、株主名簿書換え、役員変更、金融機関届出を実行する。

この順番を守るだけで、承継の安定感は大きく変わります。特に、税務と資金調達を後回しにしないことが重要です。

よくある質問

社長が100%株主でも、会社の承認は必要ですか?

定款で譲渡制限が定められている場合は、原則として会社の承認手続きが必要です。社長が100%株主であっても、会社としての承認決議、議事録、株主名簿書換えを整えることが、後日の紛争防止になります。

譲渡承認を取らずに契約したら、すべて無効ですか?

単純に「契約書が必ず紙くずになる」とは言い切れません。ただし、会社に対して新株主として扱ってもらうためには、譲渡承認や株主名簿書換えが問題になります。事業承継では、代表者変更や議決権行使が止まるため、実務上は非常に大きなリスクです。

番頭に安く売るのはダメですか?

絶対にダメというより、税務上説明できる価格かどうかを確認する必要があります。著しく低い価格で譲渡すると、贈与税、給与課税、経済的利益、譲渡所得などの論点が出る可能性があります。必ず税理士に確認してください。

従業員に資金がない場合、承継は無理ですか?

すぐに無理とは限りません。金融機関からの事業承継資金、受け皿会社による買収、段階譲渡、売主からの分割払いなどを検討できる場合があります。ただし、旅館の収益力、借入状況、担保、後継者の経営能力を総合的に見られます。

まとめ

  • 温泉旅館の株式は、社長が持っていても自由に売れるとは限らない
  • 非上場会社では、定款で譲渡制限株式としていることが多い
  • 譲渡制限株式を移すには、会社の承認決議と議事録が重要
  • 承認を飛ばすと、株主名簿書換え、代表者変更、金融機関対応で止まる
  • 番頭・従業員承継では、安値譲渡の税務リスクと資金調達が最大の論点になる
  • 契約書に押印する前に、定款、登記、株主名簿、株価、資金調達を確認する

番頭や従業員への承継は、旅館の文化やお客様との関係を残しやすい、とてもよい選択肢です。しかし、気持ちだけで進めると、会社法と税務の現実に止められます。

大切なのは、経営者の思いを否定することではありません。その思いを、法律・税務・金融機関が見ても耐えられる形に整えることです。温泉旅館の灯りを次へ残すために、契約書の前に、まず定款と株主名簿を開いてください。

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