経営方針から従業員まで、旅館を4つの視点で診る

数字を見て、現場を見ました。しかしまだ見えていないものがあります。それは「この旅館がどういう考えで経営されてきたか」「どんな人たちが支えているか」という、組織の内面です。今回は、中小企業庁のPMI分析ワークシートにある「4つの視点」をもとに、温泉旅館の経営を立体的に診る方法をお話しします。

いちご大福と、4つの視点

田中さんの4回目の来社。今回は手土産を持ってきてくれた。旅館の近くにある和菓子屋のいちご大福だ。

「地元で評判のお店らしいんです。従業員の方に教えてもらいました」

ハナコの目が輝いた。「いちご大福・・・!」

田中

業務フローの棚卸しを進めていたら、数字や業務では見えない課題がたくさん出てきました。「前の社長はこう言っていたのに」とか、「このやり方は変えないでほしい」とか。従業員との距離がまだ縮まらなくて

ヒデコ

それは、今日お話しする「4つの視点」で整理できます。①経営方針、②事業の状況、③取り巻く環境・関係者、④従業員。この4つを一つずつ見ていきましょう

視点1:経営方針 — 理念を継ぐか、変えるか

ヒデコ

最初に確認すべきは、前のオーナーがどんな経営理念を持っていたかです。「経営理念なんてなかった」と思うかもしれませんが、文書化されていないだけで、言葉や行動に込められた方針は必ずあります

田中

前のオーナーの佐藤さんは、「お客様を家族のように迎える」が口癖だったと聞いています。経営計画書のようなものは見たことがありません

社長

「お客様を家族のように」。これは立派な経営理念ですよ。従業員はその言葉で動いてきたんです。田中さんが自分の理念に変えるにしても、急にではなく、まずこの理念を尊重した上で徐々に自分の色を加えていく。そうしないと、従業員は「新しい社長は、前のやり方を否定している」と受け取ります

確認すべき経営方針のポイントは以下のとおりです。

  • 前オーナーの経営理念(明文化されていなくても、従業員が覚えている言葉)
  • 意思決定のプロセス(前オーナーがすべて決めていたか、番頭や料理長に権限があったか)
  • 成長志向か現状維持か(拡大路線だったのか、堅実経営だったのか)

視点2:事業の状況 — 旅館の歴史を知る

ヒデコ

次は旅館の歴史です。創業からの沿革で、大きな転機がなかったか確認してください。たとえば「バブル期に増築した」「リーマンショック後に宴会部門を縮小した」「コロナで日帰りプランを始めた」といったターニングポイントがあるはずです

旅館の歴史を知ることは、現在の経営を理解する鍵になります。なぜ30部屋という規模なのか。増築したのか、もともとこの規模なのか。それによって建物の構造や修繕の優先度が変わります。バブル期に増築した建物は、築30年以上が経過しており大規模修繕が近いかもしれません。

視点3:取り巻く環境 — 市場と競合と地域

ヒデコ

3つ目の視点は「外の環境」です。市場は成長しているか縮小しているか。競合旅館はどこで、何を強みにしているか。そして、顧客はリピーターが多いのか新規が多いのか

山形県北部の温泉旅館を取り巻く環境(例)

項目 現状
市場動向 インバウンド回復傾向。ただし山形県北部は東京からのアクセスに3時間以上かかり、知名度で他温泉地に劣る
競合 同じ温泉地に5軒。うち2軒が近年リニューアル。1軒が廃業し更地に
顧客構成 リピーター比率60%(高齢層中心)。新規は口コミ・OTA経由。インバウンドはほぼゼロ
地域との関係 温泉組合の加盟旅館。地元の祭りや観光イベントに協力。商工会との付き合いあり
田中

競合の1軒が廃業して更地になっているんですが、これはうちにとって良いことなんでしょうか?

ヒデコ

短期的には、その旅館の常連客が流れてくる可能性があります。ただし長期的には、温泉地全体の魅力が下がるリスクがあります。「あの温泉地は廃墟がある」となると、新規客が敬遠しかねない。温泉組合や行政と連携して、跡地の活用を考える必要があるかもしれません

視点4:従業員 — キーパーソンを見つけ、守る

社長

4つ目が一番大事です。従業員のこと。特に「キーパーソン」を見つけて、離職を防ぐことがPMIの最重要課題の一つです

田中

キーパーソンというと、料理長ですか?

社長

料理長は間違いなくキーパーソンです。でもそれだけではない。予約の電話応対で常連客の名前を覚えているフロントの方。館内の設備トラブルに対応できる施設管理の方。お客様に慕われている仲居さん。肩書きだけでなく「この人がいなくなったら何が止まるか」で判断してください

キーパーソンの離職を防ぐために

  • 早い段階で個別に話をする:全体朝礼だけでなく、1対1で「あなたの力が必要です」と伝える
  • 待遇を急に変えない:報酬や勤務体系は当面そのまま。変えるなら説明と合意を先に
  • 前オーナーとの関係を断たない:前オーナーに「田中さんをよろしく」と従業員に言ってもらう
  • 小さな成功体験を作る:新オーナーのもとで「良くなった」と感じられる変化を早めに1つ作る

もしキーパーソンの把握をせずに経営を始めたらどうなるか。最悪のケースは、料理長が「新しい社長とはやっていけない」と辞め、それに連鎖して調理スタッフ3名が同時退職すること。30部屋の旅館で調理場が空になれば、営業そのものが止まります。これは実際にM&A後の旅館で起きている事例です。

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いちご大福の気づき

田中さんが帰った後、ハナコがいちご大福を頬張りながらつぶやいた。

「田中さん、従業員においしいお菓子屋さんを教えてもらったって言ってましたよね。ちゃんと現場の人と会話しているんだなって思いました」

ヒデコがうなずく。「それが一番大事な一歩よ。経営方針も市場環境も大事だけれど、最後は人と人の信頼関係。田中さんはいい線いっているわ」

「ちなみにこのいちご大福、めちゃくちゃおいしいです。お土産に選ぶセンスも信頼できます」

「・・・そういう評価基準もあるのね」

まとめ

  • 視点1 経営方針:前オーナーの理念を尊重し、急に変えない
  • 視点2 事業の状況:旅館の歴史を知り、ターニングポイントを把握する
  • 視点3 環境:市場・競合・顧客・地域の4つを整理する
  • 視点4 従業員:キーパーソンを見つけ、離職を防ぐことが最重要課題
  • 共通原則:「理解してから変える」の順序を守る

この記事は「温泉旅館のPMI」シリーズの第4回です。次回は最終回、「温泉旅館のPMI、人事・労務・会計のチェックリスト」をお届けします。就業規則や社会保険、会計処理など、見落としがちな管理機能のチェックポイントを一覧でご紹介します。

※この記事は、中小企業庁「中小PMIガイドライン」に掲載されている「PMI分析ワークシート(定性分析②)」の考え方を、温泉旅館向けにわかりやすく解説したものです。

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